嫌われることを
避けて
生きてきた
相手の顔色に影が差すと
人知れず
光を戻す努力をしていた
視線に冷たさを感じると
突き落とされた気持ちになった
どこかいけないところが
あったかもしれない
自分の行動を
いちから振り返る
相手の機嫌に
右往左往してしまい
自分に無理を重ねて
人と付き合ってしまう…
そんな生き方を
長く続けていました。
今、
ふと疑問を感じます。
私は本当に
「嫌われること」が
…怖かったのでしょうか。

嫌われることが怖かった理由
本当は嫌われること、そのものよりも
・一人になってしまうこと
・離れていかれること
・居場所をなくしてしまうこと
そんなことが
怖かったのかもしれません。
孤独を知っているからこそ
その悲しみが
再び、訪れるのではないか…
そんな不安に押しつぶされそうになります。
小学生のころ、1年半くらい
学校での孤独を経験しました。
まわりには誰も友達がいなくなり
私と話すことを
避ける空気がありました。
私に何か原因があったのかもしれない
そんな風に
自分を責め続けていました。
今思うと
きっと、大きな原因は
なかったかもしれない。
それでもやっぱり
つらかった…
そうやって
過去の傷ついた記憶があると
人は無意識に
「嫌われないようにしよう」と
立ち振る舞ってしまうようです。

相手を優先し続けた結果
この人のために
何かしてあげたいなって
そう感じることは
たくさんあります。
相手の気持ちを大切にすることは
決して悪いことではないと思います。
ただ、
自分の気持ちをほったらかして
すべて
まわりを優先して生き続けると
疲弊していることも気づかず
自分が何をしたいのかも見えなくなって
それでも
本音を笑顔で隠してしまう…
そうやって生き続けると
知らないうちに
自分の限界を超えてしまっていた。
優しさと自己犠牲は
イコールではないと
気づくのに
ずいぶん、
時間がかかってしまいました。

私も大切、誰かも大切
以前の私は
誰かを大切にすることばかり
考えていました。
心の奥では
「嫌わないでください」
「離れていかないでください」
「居場所をください」
そんな
願いを引き換えに
していたのかもしれません。
でも今は
私も大切。
そして誰かも大切。
そう思えるようになりました。
自分を後回しにして
どんなにまわりに好かれていても
どんなに一人になることが避けられても
どこか…
心は空っぽだったんです。
あたたかい気持ちに
なれなかったんです。
それは、独りぼっちより
さみしいことなのかもしれない。
どちらかを犠牲にするのではなく
自分の気持ちも
相手の気持ちも
同じように
大切にできたらいい。

まとめ
嫌われないように過ごしていた時は
いつもアンテナを張っていた気がします。
それって
すごく疲れてしまう。
誰かに好かれるために
自分を犠牲にする必要も
きっとなかった。
そうやって繋がったものは
きっと、もろくて弱いものかも
しれません。
これからは
少しずつでいい。
まずは
「自分はどうしたい?」
そんな小さな問いを
自分に向けてあげよう。
自分を大切にすることは
まわりを大切にすることにも
つながっていく。
そんな気がしています。
私の心も
ちゃんと
大切にしていいんだって…。
あなたは、今、
自分の気持ちを
後回しにしていませんか?



