休んでいるのに、休んだ気がしないとき

自分を大切にする

 

何をやっても集中できない日がある。
何をやっても失敗ばかりする日がある。

 

今日はもう、休もう。

知らない間に
頑張りすぎていたのかもしれない。 

きっとこれは
「休みなさい」っていうサイン。

 

そう思って
頭の中をリセットするつもりなのに、

何かが喉に詰まっているような
感覚が残る。

「こんなことしてていいの?」

「もっとやるべきことが
ほかにたくさんあるはずでしょ?」

そんな言葉が
心の奥から聞こえてくる。

 

それでも
そんな言葉たちの音量を下げて
聞こえないふりをする。

 

休むはずなのに 
心の中ではずっと

休みたい自分と 
休むことを許さない自分が争いあっている。

 

何もせず ゆっくりと時間を過ごしたい。

 

でも、
ただ時間が過ぎていくことが 
大切な時間を捨てているようで 怖くなる。

 

「そんな時間があるなら もっとやらなきゃ」

そう叫ぶ自分に聞きたい。

 

 

「もっと」って、 どこで終わるの。

 

 

「ちゃんとできた」と思いたかった

 

仕事を終えて
くたびれて家に帰ってきても

家事のスイッチが
自動で入る。

一日の限られた時間の中で
瞬時に割り振りをしながら

やるべきことを
淡々とこなしていく。

 

すべてを終えて
やっとの思いで布団にもぐり込む。

 

体をフルに動かして
一日を終えることで、

「今日もちゃんとできたかもしれない」

そう思って
自分を許すことができた。

 

 

本当は――

誰でもない誰かに

「今日も頑張ったね」

って、言ってほしかった。

 

「もう十分だよ」

「今日は休んでいいよ」

そんな言葉を
誰かにかけてもらいたかったのかもしれない。

 

 

その気持ちに気づいたとき

ゆっくりと
天井の灯りが

ぼやけて見えた。

 

 

欲しい言葉を自分にかける

 

どうして 

欲しかった言葉を
自分に向けてあげられなかったんだろう。

誰かにかけてもらいたかった言葉を 
私自身が かけてあげてもよかったんだ。 

 

 

振り返ると 
頑張ってきた自分が
少しずつ見えてくる。

 

人知れず
流した涙も

歯を食いしばってきたことも
嘘じゃなかった。

 

 

崩れてしまったこともある。

それでも
そこまで歩いてきた自分は
精一杯
頑張っていたんじゃないのかな。

 

それを
自分だけは
忘れないであげよう。

 

「もっと」を繰り返す
終わりのないレースに
乗っかっていく必要は

きっとない。

 

 

今の私には、私という味方がいる

 

過去の私は
自分を責め続けることしかできなかった。

でも今の私には
無理を強いる私だけではなく

そっと寄り添ってくれる
私という味方ができた。

 

今でも

「何やってるの?」

「そんなことしてていいの?」

そうやって
責める私が出てくることはある。

 

でも今は
「休んでいいよ」

そう言ってくれる私も
ちゃんと存在している。

 

 

休む時間が無駄だとおびえて
無理に体を動かそうとしても、

結局は
しんどい気持ちが
積み重なっていくだけだった。

 

 

だから今は、

「何やってるの?」

そんな声が聞こえてきたら

 

「これは無駄な時間じゃないよ」

そう自分に言い聞かせている。

 

休むことは
何もしなかった時間ではない。

頑張れなかった時間でもない。

 

心と体が
「もう少し、こうしていたい」と言っているなら

その声を聞いてあげる時間があってもいい。

 

 

休んでいるのに
休んだ気がしない日は、

まだ自分に

「休んでいいよ」って 

言えていないのかもしれない。

 

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